長男坊出産
37週2日・自然分娩
2度目の早産からやっぱり日を空けずに妊娠。
妊娠発覚して先生に一番に言われたことは、
卵管造影で放射線を浴びた卵子を間違いなく妊娠している
(普通より多いらしいが6枚ほど撮影していた)。
産まれた子は白血病になる可能性が高くなるけど産みますか?と。
私は中絶は全く考えられなかった。
産まれたいといって私のお腹にきたのに・・。
母親の私が自分の意思でその子の命を絶つなんてできない!!
私は産むことが出来ないかも知れない。
でも、生きて抱くことが出来るのならそれだけで十分。
障害があろうが構わない。 育てることを許されるなら、抱かせてほしい。
と、中絶を拒否しました。
妊娠発覚したのがまだ5週。
でも、すでにいつのもお腹の痛みがあったのです。
主治医の先生からすぐに入院と言われました。
立派なことを言って出産を決めた私でしたが、 さすがに5週からの入院は・・・。
安定期までもたずに命ない子ならあきらめますと、 この時は入院しませんでした。
12週頃だったと思います。
念の為にとシロッカーの手術を勧められ受けることに決めました。
今までは赤ちゃんの生命力、 これからは私が赤ちゃんの命を守っていかなければならない。
それからすぐに入院となりました。
術後、麻酔が切れる頃に激痛が!!
信じられないことに便意をもよおしたのです。
手術前、丸1日流動食だったのに!!
浣腸までして全部出てたはずなのに!!
麻酔が完璧に切れていなくて足は全く感覚がない状態。
でも、信じられないほどの激痛が!!
看護婦さんが鉄のちり取り? みたいなのを私のお尻にしいて
「はい、ウンコして!!」という。
当時私は19歳。 この屈辱たえられなかた。
「嫌!!トイレに行く」 でも手術した日で歩けるわけもなく、
第一、麻酔で足の感覚がなく動かせない。
看護婦さんにワガママ言いながら、 泣きながら、私はそれで用を足したのです。
恥ずかしすぎるショックで涙が止まりませんでした。
手術の後からお腹の張りは全くとまらず、 ウテメリンの点滴が35週まで、
排尿排便はすべてベットの上で 看護婦さんの介助を受けていました。
梅雨が始まる前に入院してその年の夏は記録的な冷夏。
病室から出ることもないので 季節を感じることはありませんでしたが、
退院する頃はとても寒い時期になっていました。
ベット上で絶対安静が半年以上も、 もちろん入浴なんて出来ません。
毎日看護婦さんに体を拭いてもらう。
2度目のお産で2ヶ月していたから抵抗はありませんでしたが、
退院後、大変だったんです。 湯船が垢で・・。
2度3度と洗って出ても、 体をタオルで押さえるように拭いても 垢がボロボロと出るわ出るわ。
「清拭なんて意味あるの? 拭いてもれた後べとべとして気持ち悪いし」と、
私はワガママばかり言っていました。
その時、研修に来ていた学生さんから 清拭剤というのを教えてもらいました。
赤ちゃんの沐浴剤みたいなのですね。
使ったら最高だった♪
風呂上りのように体がぽかぽかして熟睡できるたんです。
拭いた後も風呂上りのように体がさらさらして。
半年後の初めて入浴した時も全く垢が出なかったの!!
感動しました。 病気でお風呂に入れない時もいいと思いますよ。
私の長期入院の必需品です。
洗髪は1週間から10日に一度ベット上でしてもらいました。
27週の頃だったと思います。 トラブルありました。
陣痛が止まらなくなったのです。
赤ちゃんの推定体重は800g程だったかな?
とにかく先生が30週まで頑張ってくれとか
1000gまでお腹に入れときたいと言ってた事を憶えています。
1週間、食事も全くとることが出来ず、 激痛に耐えました。
実母には 「腹をカッサバイテ!!赤ちゃん早く出してあげて!!」
と泣き言を言っていました。
あまりの激痛で気力も体力も限界でした。
今度先生が来たら 「もう、耐えられない」と伝えるつもりでした。
主治医の先生がきました。 「辛いだろう?もう、我慢できないか?」
と優しい顔して聞いてきました。
うんとうなずこうとした時
「1週間、あと1週間我慢してくれ!! 生存の確率は少しでも多い方がいい!!」
と必死に訴えてきました。
先生のあまりにも必死な姿に私は思わず頑張ると答えてしまいました。
でも、その後の苦しみは、この時の答えを後悔するような苦しさでした。
そんな時に、お尻からカメラを入れる大腸検査をしました。
助産婦さん付でヒッヒッフーなんて呼吸方しながら お尻にカメラ入れました。
当時19歳の私の下着をハガスのは同じ歳くらいの若い男の子?
とても恥ずかしかったわぁ。
脱がされたパンツを見てまたびっくり!!
真っ白のはずの下着が真っ黒!! なぜかというと・・・。
チリトリみたいな?トイレ?が 割れていた為、お尻が挟まれて痛かったんです。
鉄製だったし・・・。 お尻を挟まれないように新聞紙をしいてくれていたんです。
パンツについていたのは新聞紙のインク!
その時に気付いたのが、 私のお尻は 新聞のインクで真っ黒になっていたのでした。(笑)
話は元に戻って・・・検査結果、腸炎がありました。
私は腸炎と陣痛の痛みに耐えていたのです。
陣痛が止まらずに、1週間後に帝王切開の予定が入り、
念の為にと腸炎のための苦い飲み薬を 日に2・3度飲むことになりました。
赤ちゃんの推定体重は800g程度。
手術室には別の病院の専門の先生が立会い、
赤ちゃんを取り上げたら、 そのまま救急車で別の病院へ移る予定でした。
帝王切開当日、剃毛も終り、 別の病院の先生も救急車もスタンバイし、
手術まであと30分という時に、 いきなり聞かされたのが帝王切開中止!!!
主治医の先生が来て (陣痛も遠くなってきているので、中止しよう。
少しでも長くお腹の中に入っていたほうがいいから)と。
後から看護婦さんに聞いたのですが、
この主治医の先生でなかったら 中止なんてできなかったと思う・・・と。
オペ室に中止の連絡入れたのが 手術開始30分前なんて本当に信じられない話ですよね。
この頃、主治医の先生は私に言ってくれました。
「今度の赤ちゃんは絶対にあんたに抱かせてやる!
3度も死産なんて考えられない!!
今度、抱かせることができなければ俺は医者を辞める。
一人の患者も救えなくて医者なんて言えないからな」と、
真面目な顔で言ってくれました。
母には 「30年医者をしていてこんな患者(原因不明で何度も死産)は初めてだ」
とぼやいていたそうです。
この先生との出会いがなければ 私は子供を抱く事はできなかったと思っています。
先生が必死になってくれたから私も頑張れた。
先生と患者の信頼関係というものは 本当に大事なものだと思います。
先生には感謝してもしたりません。
七ヶ月という長期にわたる絶対安静(徒歩も不可)の 入院生活を送り、
37週と2日、自然分娩により、無事に出産する事ができました。
出生体重2334g、 小さな子で周りから未熟児だと心配されましたが、
主治医の先生から
「遺伝子的に小さい子なんでしょう。
心配ありません。 未熟児でなくて低体重児です!!」
と言われました♪
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2度目の早産からやっぱり日を空けずに妊娠。
妊娠発覚して先生に一番に言われたことは、
卵管造影で放射線を浴びた卵子を間違いなく妊娠している
(普通より多いらしいが6枚ほど撮影していた)。
産まれた子は白血病になる可能性が高くなるけど産みますか?と。
私は中絶は全く考えられなかった。
産まれたいといって私のお腹にきたのに・・。
母親の私が自分の意思でその子の命を絶つなんてできない!!
私は産むことが出来ないかも知れない。
でも、生きて抱くことが出来るのならそれだけで十分。
障害があろうが構わない。 育てることを許されるなら、抱かせてほしい。
と、中絶を拒否しました。
妊娠発覚したのがまだ5週。
でも、すでにいつのもお腹の痛みがあったのです。
主治医の先生からすぐに入院と言われました。
立派なことを言って出産を決めた私でしたが、 さすがに5週からの入院は・・・。
安定期までもたずに命ない子ならあきらめますと、 この時は入院しませんでした。
12週頃だったと思います。
念の為にとシロッカーの手術を勧められ受けることに決めました。
今までは赤ちゃんの生命力、 これからは私が赤ちゃんの命を守っていかなければならない。
それからすぐに入院となりました。
術後、麻酔が切れる頃に激痛が!!
信じられないことに便意をもよおしたのです。
手術前、丸1日流動食だったのに!!
浣腸までして全部出てたはずなのに!!
麻酔が完璧に切れていなくて足は全く感覚がない状態。
でも、信じられないほどの激痛が!!
看護婦さんが鉄のちり取り? みたいなのを私のお尻にしいて
「はい、ウンコして!!」という。
当時私は19歳。 この屈辱たえられなかた。
「嫌!!トイレに行く」 でも手術した日で歩けるわけもなく、
第一、麻酔で足の感覚がなく動かせない。
看護婦さんにワガママ言いながら、 泣きながら、私はそれで用を足したのです。
恥ずかしすぎるショックで涙が止まりませんでした。
手術の後からお腹の張りは全くとまらず、 ウテメリンの点滴が35週まで、
排尿排便はすべてベットの上で 看護婦さんの介助を受けていました。
梅雨が始まる前に入院してその年の夏は記録的な冷夏。
病室から出ることもないので 季節を感じることはありませんでしたが、
退院する頃はとても寒い時期になっていました。
ベット上で絶対安静が半年以上も、 もちろん入浴なんて出来ません。
毎日看護婦さんに体を拭いてもらう。
2度目のお産で2ヶ月していたから抵抗はありませんでしたが、
退院後、大変だったんです。 湯船が垢で・・。
2度3度と洗って出ても、 体をタオルで押さえるように拭いても 垢がボロボロと出るわ出るわ。
「清拭なんて意味あるの? 拭いてもれた後べとべとして気持ち悪いし」と、
私はワガママばかり言っていました。
その時、研修に来ていた学生さんから 清拭剤というのを教えてもらいました。
赤ちゃんの沐浴剤みたいなのですね。
使ったら最高だった♪
風呂上りのように体がぽかぽかして熟睡できるたんです。
拭いた後も風呂上りのように体がさらさらして。
半年後の初めて入浴した時も全く垢が出なかったの!!
感動しました。 病気でお風呂に入れない時もいいと思いますよ。
私の長期入院の必需品です。
洗髪は1週間から10日に一度ベット上でしてもらいました。
27週の頃だったと思います。 トラブルありました。
陣痛が止まらなくなったのです。
赤ちゃんの推定体重は800g程だったかな?
とにかく先生が30週まで頑張ってくれとか
1000gまでお腹に入れときたいと言ってた事を憶えています。
1週間、食事も全くとることが出来ず、 激痛に耐えました。
実母には 「腹をカッサバイテ!!赤ちゃん早く出してあげて!!」
と泣き言を言っていました。
あまりの激痛で気力も体力も限界でした。
今度先生が来たら 「もう、耐えられない」と伝えるつもりでした。
主治医の先生がきました。 「辛いだろう?もう、我慢できないか?」
と優しい顔して聞いてきました。
うんとうなずこうとした時
「1週間、あと1週間我慢してくれ!! 生存の確率は少しでも多い方がいい!!」
と必死に訴えてきました。
先生のあまりにも必死な姿に私は思わず頑張ると答えてしまいました。
でも、その後の苦しみは、この時の答えを後悔するような苦しさでした。
そんな時に、お尻からカメラを入れる大腸検査をしました。
助産婦さん付でヒッヒッフーなんて呼吸方しながら お尻にカメラ入れました。
当時19歳の私の下着をハガスのは同じ歳くらいの若い男の子?
とても恥ずかしかったわぁ。
脱がされたパンツを見てまたびっくり!!
真っ白のはずの下着が真っ黒!! なぜかというと・・・。
チリトリみたいな?トイレ?が 割れていた為、お尻が挟まれて痛かったんです。
鉄製だったし・・・。 お尻を挟まれないように新聞紙をしいてくれていたんです。
パンツについていたのは新聞紙のインク!
その時に気付いたのが、 私のお尻は 新聞のインクで真っ黒になっていたのでした。(笑)
話は元に戻って・・・検査結果、腸炎がありました。
私は腸炎と陣痛の痛みに耐えていたのです。
陣痛が止まらずに、1週間後に帝王切開の予定が入り、
念の為にと腸炎のための苦い飲み薬を 日に2・3度飲むことになりました。
赤ちゃんの推定体重は800g程度。
手術室には別の病院の専門の先生が立会い、
赤ちゃんを取り上げたら、 そのまま救急車で別の病院へ移る予定でした。
帝王切開当日、剃毛も終り、 別の病院の先生も救急車もスタンバイし、
手術まであと30分という時に、 いきなり聞かされたのが帝王切開中止!!!
主治医の先生が来て (陣痛も遠くなってきているので、中止しよう。
少しでも長くお腹の中に入っていたほうがいいから)と。
後から看護婦さんに聞いたのですが、
この主治医の先生でなかったら 中止なんてできなかったと思う・・・と。
オペ室に中止の連絡入れたのが 手術開始30分前なんて本当に信じられない話ですよね。
この頃、主治医の先生は私に言ってくれました。
「今度の赤ちゃんは絶対にあんたに抱かせてやる!
3度も死産なんて考えられない!!
今度、抱かせることができなければ俺は医者を辞める。
一人の患者も救えなくて医者なんて言えないからな」と、
真面目な顔で言ってくれました。
母には 「30年医者をしていてこんな患者(原因不明で何度も死産)は初めてだ」
とぼやいていたそうです。
この先生との出会いがなければ 私は子供を抱く事はできなかったと思っています。
先生が必死になってくれたから私も頑張れた。
先生と患者の信頼関係というものは 本当に大事なものだと思います。
先生には感謝してもしたりません。
七ヶ月という長期にわたる絶対安静(徒歩も不可)の 入院生活を送り、
37週と2日、自然分娩により、無事に出産する事ができました。
出生体重2334g、 小さな子で周りから未熟児だと心配されましたが、
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