二度目のお産

22週5日・死産
初めてのお産から日を空けずに2度目の妊娠をしました。

お腹かにあの子がいなくなった事、 やっぱり信じられなくて...。
日を空けずに妊娠したせいか、 あの子がお腹に帰って来た感覚にもなっていました。
最後にお世話になった、 あの先生を尋ねてお世話になりました。
12週に入る頃からお腹に鈍痛が...。
はじめの子の時も言われたが (はるちゃん、妊娠は病気じゃないんだから...)。
それくらい解っている。
でも妊娠ってこんなにお腹が痛くなるものなの?
お腹の張りは、 モニターで確認できる時期ではないのでわかってもらえない。
が、ウテメリン(張り止めの薬)の飲み薬の量を増やしても 痛みが全く変わらないので入院。
13週くらいだったと思う。 ウテメリンを点滴するようになった。
絶対安静で、ベットの横にポータブルトイレ。
6人部屋なのが辛かった。 大きい方もここで用を足さなければならなかった。
嫌だった。 とても抵抗あった。
恥ずかしさを紛らわすため? わざと大きな声で
(今から、ウ○コ行きます! ごめんなさい!鼻つまんでね!) なんて叫んでた。
部屋の方々は入れ替わりが激しかったが
(どうぞぉ!お互い様よぉ! 気になるようなら部屋空けようか?)
なんて言ってくれる方が多く、 少し気が楽になった。
...が、他の患者さんの食事中や 見舞い客が来てる時は本当に辛かった。
この時の入院は2ヶ月くらいになった。
他の患者さんは一週間から十日程で退院していくので、 仲良くなってもすぐサヨナラ。
産科というより婦人科だったので
周りには、 子宮筋腫、子宮癌、卵巣嚢腫、の患者さんが多く、
妊婦さんはほとんどお目にかかれない。
他の患者さんから (あなたはいいわね)と言われ続けた。
話を聞くのもいつも深刻な話ばかり。
仕方がないとはいえ、 妊婦らしく、 ほのぼのと胎教なんか考えながら過したかった。
タマにお産トラブルがある方が来る。
家族の方は皆深刻なため、 安定している私を見て
(あなたはいいわね。うちなんか...)と、 愚痴をこぼしていく。
複雑な気持ちでその言葉を聞いていた。
が、そんなトラブルがあった方々も、 すぐにお産をし
長くて十日もすれば 赤ちゃんと一緒に帰っていく。
意地悪な私は、
(私がいいのなら変わってよ! 私だって早く赤ちゃんと一緒に帰りたい!
本当なら、あんた達より早く赤ちゃん産んでたんだから!)
なんてこと思っていたりした。

入院中の点滴でお腹の痛みは軽くなっていた。
ひとつき経った頃から お腹の痛みを確認しながら点滴の量を 少しづつ減らすようになった。
減らすと痛みが来る。 が、我慢できないほどの痛みではない。
妊娠発覚して、お腹の痛くない事がない。
感覚がわからなくて、 まぁ、これぐらいの痛みなら、 痛くないと表現するのだろうと思っていた。
点滴が取れ、 トイレまで歩行許可を頂き、 一週間くらいして、
とりあえず一泊、 やっと外泊許可が出た。
担当の先生は少し不安げだった。 安静にと何度も念をおされた。
これで一日、普通の妊婦生活ができると胸を躍らせた。
お昼頃だったと思います。 自宅に帰ったのは。
久しぶりに車で揺られたせいかお腹が痛い。
全く動くこともできずに、 帰ってからはずっと横になっていた。
やっぱり普通の妊婦生活は無理なんだと、 涙流してました。
明日からはおとなしく、 もう家に帰りたいなんて言わずに臨月をまとう。
夜になり食事時になっても座ることができない。
入院中、いつもの事だったので何も危機感はありませんでした。
便意をもよおした。 はいずりながらトイレに行く。
どんどんお腹が痛くなる。 早く横にならないと! 和式の便座はきつかった。
お腹が苦しい、便秘だったかしら?
とにかく用をたして横にならないと とか思いながら懸命にいきんだ。
瞬間、 パーーーーーーーン!バシャーーーーーーン!
と大きな音が聞こえたのと同時に 私の股から 水が四方八方に散らばった。
水風船をアスファルトに叩き割るような感じ!!!
お腹の痛み、苦しみが、 一気になくなった。
そう、便意は赤ちゃんが下がってきていたためだったのだ。
結局一泊もできずに救急車で病院へ...。

内診台に運ばれ、 モニターで赤ちゃんの心音を聞きながら内診される
。 先生の指が出るのと同時にバシャーーーンと すごい勢いで羊水が流れ出す。
先生が深刻な顔をしている。 モニターの心音が不規則になってきた。
私がそれに耳を傾け不安そうに聞こうとすると、
先生が看護婦さんにモニターを切るように指示を出した。
誰も何も言わずに処置する手を止めた。
頼りにしている主治医の先生が 息を切らせながらかけつけてきた。
周りの状況を見渡して、 (やっぱり...返すんじゃなかった!)と言って、 悔しい顔を見せた。
そう、外泊は、 私が先生に頼み込んだのだ。
先生ごめんなさい!!! 赤ちゃんごめんなさい!!!

それから陣痛が来るのを待って、 2度目の死んだ子のお産。
私は泣かなかった。 目標があった。
せめて今度はきれいな形で産んであげる。
助産婦さんの言うことをしっかり聞いて...。
痛いなんて言わない!!! 絶対きれいに!!! 私がこの子にできる最後のこと。
お産が始まった。 また逆子だ。 先生が手を入れて回転を試みる。
私は先生が処置しやすいようにと、 痛むお腹に力が入らないよう必死だった。
今回は羊水が多少残っていたため、 うまく回転できた。
頭から出せる!
助産婦さんの指示どうりにイキム。
羊水があるとこんなにスムーズに、 スルッとお産ができるんだと知った。
赤ちゃんが出たと同時に助産婦さんに聞いた。
きれい?
助産婦さんは前回の私のお産を知っている。
気持ち解ってくれたのだろう。 にっこりと笑ってくれた。
私は嬉し涙を流した。
22週5日、451gの男の子。
きれいに産むことができました。

産後5日程、病院にいる。 前回もそうだったが飲む子がいなくても母乳は出る。
冷やして、お薬を飲んで母乳を止める。
なかなか止まるものではないけれど。
2度もこんなことが続いていいものなのか?
全く涙が出ない。 ああ、私は夢を見ているんだ。
眠って目がさめればきっと、 赤ちゃんはお腹にいるんだ。 と私は信じていました。
何度、眠りから覚めても状況が変わらない。
なかなか本当に目が覚めないようだ。
小さい頃、 よく高いところから落ちて目が覚めていたことを思い出しました。
病棟は七階でした。 窓を開けてみると、 看護婦さんから声をかけられた。
ベランダを出て屋上に行くと 必ず看護婦さんがついて来るので、
雑談でおわり、 気付いたらいつもベットの中。
今、思うと看護婦さんから監視されていたんだな。
夢から覚めようとしただけで、 自殺しようなんて考えていないのに...。
私は涙を流すことなく退院した。

家に帰って、何日かして、 これは夢じゃないんだ現実なんだ と気づき始めてから、夢を見た。
エコーで見ていた我が子の姿。
抱っこしてと言わんばかりに手を上に伸ばし、
ママ助けて!ママ助けて! と私に訴える。
掌をグッパグッパしながら...。
ママ助けて!と叫んでる。
手をつかもうとしてもツカメナイ。
もう少しで手が届くのにというところで目が覚める。
助けてあげられなかった。
この時、私は初めて号泣した。
こんな夢を毎日見て泣きながら目を覚ますことが 一月以上続いた。

私の妊娠率は100%。
世の中には不妊の人だっているのに!
どうせ抱くことができないのなら 妊娠なんかできなければいいのに!!
と、何度も思いました。
今回のお産の後、 胎盤に古い出血の跡が見られ、
どうも胎盤早期剥離の疑いがあったようだ。
血豆状態になっていたらしく妊娠中に出血はなかった。
破水した時のトイレには ピンクの水が散らばっていたらしく、
破水の勢いでへその緒から出血していたようだ。
いろいろと理由はあるのだが、 度重なる早産のためいろいろと検査することになった。
検査結果、 軽い双角子宮が発覚(いわゆる子宮の奇形です)。
あと、 子宮頚管憩室(産道に盲腸みたいな別の袋がある)。
子宮の奇形で 早産の確立は高くなっているうえに、
産道に別の袋があるらしく そこに細菌が溜まりやすく、 結果、破水しやすい状態らしい。
卵管造影の検査は偉く痛かったです。

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