超未熟児コウちゃん出産(25週2日・帝王切開) 〜若葉はる〜
妊娠の発覚は、まだ次男坊が授乳時期でした。
一歳半くらいでしたが、
出来れば本人が要らなくなるまでと考えていました。
が、乳首への刺激は、そのまま子宮収縮につながり、
キリキリというあまりにひどい腹痛のため
授乳を続けることは出来ませんでした。
「ごめんね。お腹の痛くないときにね」
と、泣いてすがる我が子を引き離したのです。
私は基本的には母乳は一歳までという考えなのですが、
長男の時に半年で母乳が止まってしまい
悲しい思いもしてましたので、
本人がほしがって母乳が出るのであれば 与えてあげたいと思っていました。
母乳を止めて三日後くらいに
「おっぱいいる?」 と、次男に聞くと
照れくさそうにして 咥えるのですが吸う事を忘れてしまっていたようです。
たった3日で乳離れ。
ちょっぴり寂しかったのを覚えています。
安定期に入る頃(16週くらいだったかな?)、
毎度の事ながらシロッカーの手術の為、入院。
10日くらいで退院することができました。 退院後は2週間に一回の検診を受けていました。
途中、春になり先生たちの移動で
担当医も変わることになりました。
23週4日の検診。 シロッカーで縛っているにもかかわらず、
子宮頚管の長さが殆どなくなり
今にも子宮口は開きそうになってしまいました。
お腹の痛みはいつもと変わらず…。 私は痛みなれしているのでしょうね。
痛みの自覚はあるのですが
モニターで出なければ私の痛みはわかってもらえないし、
私がただの痛がりなのかも? とかいう感情もあり、
あまり痛いと訴えなくはなっていた私です。
モニターでは子宮の張りはやっと取れる程度。
でも、誰がみてもわかるくらいに
お腹はカチカチに張っていました。
そのまま即入院と指示をいただいたのですが、
小学生の長男坊とまだ一歳の次男坊がいたため、
4・5日待っての入院をお願いしました。
帰宅して入院準備をしていたのですが、 やはり強くなる痛みに耐えられなくなり、
自ら予約より2日早くの入院をお願いしました。
23週6日入院。
入院した日は週末だったので担当の先生はいなく、
他の先生が私を不思議そうに見ていました。
あまりに元気なので入院の必要はないと思ったのでしょう。
月曜になったら退院していいよとまでいわれちゃいました。
24週1日。
担当の先生が来たので 「退院できるんですか?」 と訊ねたら
「頚管の長さが全くないからなぁ。 一週間ほど様子を見ましょう」 と。
もう一人の先生は頭をかしげながら、 担当医が言うのなら…
とは言っていましたが不満そうでした(笑)。
24週2日、
九時の消灯後、 お腹がとても痛くなり始めました。
モニター取れないかもしれないけどな〜 とか思いながら
看護婦さんにモニターのお願いをしました。
看護婦さんが準備をしているときに、
どうも下がヌルットした。
「出血したかな?でも、ただのオリモノかも?」
看護婦さんが来たときに事情を説明し、
ナプキンをあてたいからと
モニターの前にトイレに行くことに。
病室を出て2・3歩、歩いた時に
「バッシャーン!!!」
すごい音と共に暖かい水が後から後から
すごい勢いで足を伝って流れていく!!
急激にお腹もガチガチになり きゅーーーーと
すごい勢いで収縮していくのがわかる。
痛みで全く歩けなくなり 「看護婦さん、助けて!!」 と声を絞り出すのがやっとだった。
車椅子でベッドまで移る。
下着も病衣もびっしょりで、 ベッドの布団も後から後から流れ出てくる羊水のために、
すぐにびっしょりになっていきます。
「すぐに先生来るからね」 と私にウテメリンとマグネゾウルの点滴を始めた。
とにかく痛みは治まらず、
すごい便意が私を襲う。
もちろんコレは便ではなく 明らかに赤ちゃんが降りてきているのだと、
この時の私は解っていた。
22週と5日の子で、駄目だった経験のある私は…。
24週と2日。 正直駄目だと思った。
破水も、もうしてしまった事だし。
二度目のお産の時とおなじように私は冷静だった。
母として最後にちゃんとしなくちゃと
震えながらも必死に取り乱さないようにしていた。
看護婦さんに 「必死に点滴なんかの処置してるけど助かるの?」
と私は尋ねた。
「助ける為に頑張っているんでしょ!!」 と真剣な顔で答えてくれた。
半信半疑でその言葉を受け止めた。
夜中の3時を過ぎても先生は来なかった。
看護婦さんに聞いたら朝にならないと来ないという。
私はその看護婦を怒鳴りつけた!!
「コレだけの破水をしていて、 来ない医者なんているわけないでしょ!!
あんたちゃんとした報告してるの? チョッとの破水じゃないでしょ!!」
それから一時してベテランの看護婦が来て
「ごめんなさいね。先生すぐに来るからね」 と。
家族に連絡したのもこの頃でした。
先生より私の両親が先に来ました。
主人は2ヶ月ほど前から県外へ主張中の為、
すぐには戻って来れませんでした。
明け方近くになって担当の先生が来て、
不安げな顔で見られた事を憶えています。
先生が親に 「転院します。
赤ちゃんが小さすぎるためここでは不可能です。
転院先ですぐに帝王切開になるでしょう」 と話していた。
ここの病院は1000g以上ま
たは30週以上の赤ちゃんしか対応できないのだ。
それは初めからワカッテいた。 救急車が来たのは昼前だった。
長男の頃からお世話になっている看護婦さんと 担当の先生が付き添いをしてくれた。
転院先ですぐに手術と思っていたのだが、
また血圧を測ったり採血したり心音聞いたり モニター取ったり最初から検査のやり直し。
私の便意は恐ろしいモノに!!
とにかく苦しかった。
どんどん点滴の量を増やされる。 昨夜から全く眠っていないのに寝付けない。
落ち着いてもいないのに病院側からは
とにかく少しでもお腹に長く入れておきたいのでと
生存率の説明などを受けていた。
とにかくすぐにはお産にならないということは解った。
このまま臨月まで持つのだろうか? でも沢山の不安がある。
破水していてお腹の中には 全くと言って良いほど羊水が入っていない。
赤ちゃんは全く動く事が出来ないのだ。
小児科の先生からは その為に体が硬く固まってしまう子もいると聞いた。
破水による感染もとても怖かった。
羊水が少しでももれないようにと
ベッドの足元に踏み台を乗せてお尻を上に持ち上げる。
それでもドンドンとドクドクと羊水の流れ出ているのがわかる。
薬の副作用で 息を吸っても吐いても
胸に刃物で切り裂かれるような痛みが走る。
お腹の痛みより
こっちの息の出来ない(息をすると痛い)苦しみのほうが強かった。
薬を止めるまでの間ずっと痛くて苦しくて このまま死んでしまうのかな?
と頭をよぎったくらいです。
相変わらず強い便意もある。 その状態で何日かが過ぎていった。
モニターの心音が途切れている。
看護婦さんに聞くとこのくらいだと大丈夫だと言う。
胎動も日に日になくなっていく。 あんなに元気に動いていたのに。
今はどこが頭でどこにお尻があるのか お腹に手を当てればすぐにわかる。
きっと、肉眼でもわかっていただろう。
羊水のなくなったお腹には
くっきりと赤ちゃんの形が見えるのだ。
胎動が減り心音が途切れるのを聞いていて 不安でどうしようもなかった。
今はお腹の中で元気なのに、
このままお腹にいると感染して重たい病気をしたりするのでは?と。
おかしいなと病院が判断したときは
出産するとは言っていたが
その時はすでに病気になっているのではないか?
私のお腹の中で病気になるの?
私が病気にさせちゃうの?
私のお腹の中にいるより 保育器で適切な処置を受けたほうが安全ではないのだろうか?
私のお腹の中で感染してほしくない!
きれいなまま、 少しでも元気な状態で産んであげたい。
私は婦人科の先生方の反対を押し切って
究極の選択をすることに決めたのです。
決めた後に小児科の先生の話も聞きました。
羊水も大分汚れてきているし、
胎動もなくなってきている。
この辺が限界でしょうと。
私のお腹の変わりに
先生が保育器で守ってくれることを約束してくれたのだ。
もちろん何の保障もない。 究極の選択だった。
出産することが決まり、
やっと眠りにつくことの出来た私は夢を見た。
青く澄み切った空の中、 大きな木が病院のなかにあり窓からは枝が出ている。
病院の天井も突き破る程の大きな木。
とても瑞々しく健康な木だ。
大きな葉っぱが
私と赤ちゃん小児科の先生に婦人科の先生、
皆を優しく包んでくれている。
目が覚めた時、
赤ちゃんは大丈夫だと確信を持ちました。
ここでの担当の先生から、
四度のシロッカー術、円錐切除術をしているのに 子供を産むなんて不可能だ。
どうして今回、他の先生からストップされなかったんだ。
と攻められました。
難しいとは確かに聞いていました。
が、私さえ頑張ればと甘く考えていました。
もう次の妊娠では23週ともたないだろうと先生に言われ、
今回、避妊手術も受けることを決めたのです。
自然分娩も可能ということでしたが
自分にはもうそんな体力は残っておらず全く自信がなかった。
子供が生まれた後に避妊手術は、 もともとしたい手術ではないし、
絶対にまた考えが変わって避妊したくなくなるとわかっていた。
そういうことで
帝王切開と同時の避妊術を受けることになったのです。
25週2日、720gの男の子を帝王切開にて出産。
取り出されたばかりの我が子は、 想像していたよりとても大きな声で泣いてくれました。
子猫のような泣き声でもありました。
一通りの処置を終わらせた我が子を私の元に連れて来てくれた。
「触ってもいいのですか?」 と聞く私に
「あなたの子ですよ♪」 と答えてくれた。
私の右手の人差し指を痛いくらいに力強く握り締めてくれました。
息子の手のひらは私の人差し指の爪ほどの大きさ。
指先をしっかり握り締めている五本の指は 爪楊枝のような細さでした。
生まれてから(写真館)