22週6日(れおくん) 〜れおママさんの体験記〜

2005年4月1日。
朝、少量の出血があったけど気にせず過ごしていました。
昼頃、お腹が張ってきて調子が悪くなったので旦那に電話。
仕事のきりがいいので帰ってきてくれるとの事。
夕方、検診もかねて病院へ。出血がった事を話すと注射をしてくれました。
20分くらい様子をみて帰ろうとしたら気分が悪くなり、また横になりました。
気分もよくなり家に帰りましたが出血は止まらず。
夜中、お腹に激痛が走りました!間隔をはかってみると約10分。
今思えば陣痛だったのだろうけど、まさかこんな早く…と思ったので朝まで我慢しました。
2日の朝、
電話をし病院へ行きました。内診してもらうと先生が「病院移ります…」と。。。
抑制剤を投与しながら救急車で運ばれました。
病院につくと、内診&エコー。赤ちゃんの足が出ているとのこと。
子宮口も全開なので縛れないと言われ、産むしかなくなりました。
産婦人科の先生には「550cくらいだからすぐ産まれるよ!」と言われましたが…
助かっても助からなくても、もう産むしかなく、
小児科の先生方の準備が終わるのを待っていました。
その間、産婦人科の先生や看護師さんから色々説明を受けました。
帝王切開のほうが赤ちゃんに負担がかからない…
今後の事を考えて通常分娩でいくか…先生に聞かれていました。
旦那と2人にしてもらい話し合いました。
2人で大泣きしたあと「産むしかないんだから、お前の楽なほうを選べよ」と言われ
決心がつき通常分娩を選びました。
促進剤を少量ずつうってもらいながら陣痛が強くなっていくのを待ちました。
この時、赤ちゃんを助けてほしいと思いながらも
今後の事を考えると死んでてくれないかと思ったり。
今思えば、れおには申し訳なく思います。

いきみたくなるまで時間がかかりました。
やっぱり陣痛は痛い。
いくら小さいからと言っても早く出られるように切開しました。
赤ちゃんが産まれ「おめでとう」と言ってもらって嬉しかった。
すぐそこでスタンバイしていた小児科の先生方たちに手渡され、
処置が終わりチラッと顔を見せてもらい赤ちゃんはNICUへ…
私の処置も終わり、旦那が来て「おつかれさま」っと言ってくれました。
2時間くらい分娩室で横になっていましたが、赤ちゃんの事が心配で。

赤ちゃんと面会できたのは夜中近く。。。
すごく小さくて、呼吸器や点滴などみた事もないような光景でショックでした。
目もまだ開いてなくて。
先生から説明を受けましたが、
病名(症状)の欄には
『超低出生体重児・気胸・新生児呼吸窮迫症候群・動脈管開存症』
と書かれていました。
病室に戻り、何度も読み直しました。
もう夜中近かったので旦那は帰宅。
この日は涙が止まらず一睡もできませんでした。
私のせいだと自分を責めれば責めるほど辛くなり、、、
毎日思いっきり泣いて泣き疲れて寝る、というのが続きました。
3日、
朝から旦那と名前を考えました。
たくましくなってほしい、と思い色々考えましたがなかなかいい名前が出てこなくて。
旦那が名付けの本を見て「れおは?」「いいね〜」ですぐ決まり!
ライオンのように大きく強くなってね!と願いを込めて。
この日から退院するまでは辛い毎日を送りました。
赤ちゃんは手元にいないのにおっぱいが張ってくる。
授乳室へ行くのが辛く部屋で搾乳。
夜中1人の部屋で聞こえる赤ちゃんの声。
1人が嫌な私。
始めは大部屋を希望しましたが1人部屋にしてよかった。
思いっきり泣けたから。。。

急な出産だったため、るなにも色々我慢させてしまいました。
はじめて親から離れ1週間もおじいちゃん、おばあちゃんの家へ。
すぐ会いに来れる距離じゃないので淋しかったかな?

それから1ヶ月くらい、不眠が続き涙の毎日。
面会中もみなさんに心配をかけないようにと涙をこらえ…
5月中旬、れおに触れるようになってから笑顔で会えるようになりました。
面会に行くのも楽しくなりました。
れおの成長振りがいいから!
いつ呼吸器が取れるのか、
保育器から出られるのか、
退院できるのか分からないけれどれおが元気になるのを待っていたいと思います。
2005年5月13日
 『るな&れおのおうち』へ訪問する



HOME

投稿体験記

Oisix(おいしっくす)/Okasix(おかしっくす)

管理人の体験記

書籍のお求めは

楽天市場より


Last Update 2007.12.23